適応障害で会社をクビになった私が実践!ハードルの低い「美術史」の楽しみ方!

美術史学
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はじめに

私たち人類は生きていくためには働かなくてはなりません。狩猟採集民族ではなくなった現代人にとって、社会との関わりは必要不可欠です。ですが、世の中にはその普通がなかなかできないという方が少なくありません。

社会が成熟すればするほど、どうしても求められる能力が高くなってしまいます。昔のようにただ、農作業だけをして生きていくことは難しくなってきました。そして、工場で決められた作業だけをしているとそれ以上のことを求められるようになります。それはコミュニケーションです。顧客の方々や社内の方々と円滑な折衝が必要になります。いわゆる“感情労働”です。社会が高度化するに従い、愛想がスキルになってきたのです。いついかなる時にも愛想を振りまく。それが今の社会に求められていることなのです。

なぜ、こんなことを言うのか。それは私自身がそのスキルがなかったのです。そして、適応障害になってしまいました。今の社会で普通に生きていくことは私には難しかったのです。

そんな時に思い出したのが、大学・大学院時代に研究していた日本美術史学でした。

この記事を書いたのはこんな人です。わたしに興味を持ちましたら、他の記事もチェックしてね!!

自己紹介
冬栞 HuyuShiori

日本美術史で修士号を取得。専門は江戸時代水墨画。学芸員資格と準デジタルアーキビストの資格を取得している。
適応障害を抱えるも現在は倉庫作業のパートとしてギリギリの生活をしている。趣味はWebサイト運営や記事の作成。日々、記事のネタになることはないかを考えている。

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ビジュアルこそが美術史学

皆さんは美術史学と言われると、堅苦しい、古くさい、つまらないもの。小・中・高の歴史の授業でも文化史は片隅に追いやられていますよね。政治ばかりが特集されてもう記憶にもないよって方がほとんどだと思います。

しかし、そんなあなたに文化史、ひいては美術史の楽しみ方を教えます。これさえ読めば「日々是好日」の神髄を身につけられるようになります!!

虚構が私たちに与えたもの

美術史に全く触れていない人は存在しません。今、目に見えている全てが美術であり、文化です。人間が生きている以上、文化に触れているのです。文化から宗教が生まれ、宗教から文化が生まれます。人間を人間たらしめる要素として「虚構を信じるということ」があります。

人間が虚構を信じることで団結ができるようになったのです。身内を見極めるために信仰が必要だったのです。つまり、同じ信仰を信じる者同士を仲間とすることで団結ができるようになったのです。

お金というものもそれをお金だという共同幻想がなければ、ただの物体でしかありません。それがあったところでそれ自体には何の意味もありません。食べられるわけでもないのですから。

目に映るものが全て楽しみの宝庫-日常の楽しみ方-

ビジュアルの意味を見抜く

日用品から建物まで目に映るものにはなぜそうなっているかという理由、意味があります。

意味がなく、適当に作られたなんてことはまずありません。

現代アートに対して意味なんてない。といいますが、そんなことはありません。前時代へのカウンターとしてのアートなんです。風刺画めいた皮肉が新しいとして評価されているのです。

そこには意味なんてなさそうだが、じゃあ、何で作ったの?っていうことになりますよね?

作った本人にとっては意味があるから作ったのです。

だからこそ、全てのものには意味があり、存在しているのです。

自然においては分かりませんが、人工物については確実に意味があります。だって、意味がないなら作らないじゃない。ただ、自然を描こうという時には意味が生まれています。それは、そこに人間が意味を見出しているからに他ならないからです。

だからなんでもいいんです。

形や色に対して疑問を持ってみてください。そうすると、どんなものでも楽しめます。

私はこれを適応障害になってから思い出して、実践してみました。すると、以前より楽しみが増えてきました。生きることを楽しむことが出来るようになったのです。そうです。心の調子が良くなってきたのです。

散歩

散歩 © 2011-2026 フリー素材サイト「ぱくたそ」https://www.pakutaso.com/20241154324post-52640.html から引用

紅葉の画像です。散歩しているとこういう風景に出会うことがありますよね?凄くきれいですよね!わたしも紅葉を見ると心が落ち着くのでスキです❤

あのオレンジがかった赤が印象的で素敵ですよね。

じゃあ、赤ってどういう意味があるのかな?調べてみたよ。

赤という色には、古来から「魔除け」や「生命力」という意味が込められてきました。神社のお鳥居が赤いのも、そうした意味があるからなんです。 そうやって「きれいだな」の先にある「なぜこの色なんだろう?」をちょっと調べるだけで、目の前の風景に歴史という奥行きが生まれます。これこそが、お金をかけずにできる最高の美術史の楽しみ方なんです。

さて、散歩のほかにも、私たちの周りには「楽しみの宝庫」が溢れています。いくつか例を挙げてみましょう。

②建物

毎日何気なく通り過ぎているビルや家、あるいは駅の校舎。 よく見ると、窓の形がアーチ状になっていたり、柱に奇妙な彫刻が施されていたりしませんか? 「あ、これはヨーロッパのゴシック様式を真似しているのかな?」「このレトロなタイルは昭和モダンっぽいな」 建物は、そこに生きた人々の「こういう空間にしたい!」という願いの塊。街歩きが、まるで無料の野外美術館に変わります。

③パッケージ

コンビニで何気なく手に取るお菓子や飲み物のパッケージ。 ここにも美術史のDNAが息づいています。 たとえば、ちょっと高級感のあるチョコレートの箱に金色の唐草模様があしらわれていたら、それは遠くシルクロードを渡って日本に伝わったデザインの歴史(あるいはヨーロッパのアール・ヌーヴォー)と繋がっています。 「なぜこのフォント(文字の形)なんだろう?」「なぜこの色使いなんだろう?」 デザイナーが必死に考えた「ビジュアルの意味」を見抜くゲームの始まりです。

④イス

あなたが今、座っているイスはどんな形をしていますか? 丸いですか? 四角いですか? 素材は木? それともプラスチック? 実は、イスの歴史をたどるだけでも、人間の「座る」という行為に対する執念や、その時代の最先端の工業技術の歴史が丸ごと見えてきます。 機能性を突き詰めた結果の美しさ(機能美)に出会うと、「名もなきデザイナーさん、ありがとう」と言いたくなってしまいます。

おわりに

社会のスピードについていけなくなったり、愛想を振りまくことに疲れてしまったりしたとき、私たちの心はすり減って、目の前の景色が灰色に見えてしまうことがあります。かつての私が、まさにそうでした。

でも、美術史の眼鏡を少しだけかけて世界を覗いてみてください。 私たちが生きているこの世界は、誰かが意味を持って作った「ビジュアル(表現)」で満ち溢れています。

特別な美術館に行かなくてもいいんです。高いチケットを買わなくてもいい。 散歩道の紅葉に、お菓子のパッケージに、世界の美しさや人間の営みの愛おしさはちゃんと隠れています。

「あ、これってどういう意味だろう?」

その小さなワクワクが、あなたの心に小さな「静寂と余白」をくれるはずです。 これこそが、私が適応障害を経てたどり着いた、ハードルの低い美術史の楽しみ方であり、毎日をちょっと良く生きる「日々是好日」の神髄なのです。

あなたの目の前には、今、どんなビジュアルが映っていますか?

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