はじめに
昨今、多様性という言葉は一人歩きしているように感じる。さも、多様性こそが正義、多様性さえあれば、組織運営は出来ているのだと信じているようだ。多様性があればいいの?全てがバラバラでまとまりがない状態が本当に望ましいの?疑問に感じる方は多いでしょう。そこで、多様性とは何かを組織運営という構造から改めて考えてみようと思う。
体育会系と組織
さて、皆さんは体育会系という言葉を知っているだろうか?もちろん知っていると思う。この言葉は学生時代の部活でよく聞いたことだと思う。
この概念は多様性を考えるにあたっても面白い。この体育会系は日本的な組織運営において重要な示唆を与えている。
そこで、体育会系について詳しく検証してみよう。
そういえば、私は当ブログにおいて、体育会系について書かれた本のレビューを行った。それがこれだ。

また、禅宗と体育会を結びつけた記事も投稿している。

それらを、踏まえた上で今回は組織論の方面から多様性と体育会系を論じてみようと思う。
多様性と組織論-体育会系との関連性-
多様性と体育会系を結びつけて論じていく試みは珍しいものではないと思う。しかし、現在、社会構造からの面から、なぜ体育会系という存在が生まれるのか?なぜ、多様性が目の敵にされるのか?を分析してみたい。
現代社会を生きていく上で割り切る必要のある部分があることは疑いようがない。それが、組織に馴染むことである。極力は社会で生活していく上で理不尽に適応していかなければならない部分はある。それで、社会がうまく回っていた部分があった。
しかし、それは耐性があった場合の話である。そうでない限りはそんな組織で働き続けなくても良い。だから、入社した上で1年、働くことができたらそこで自分が働き続けられるかどうかは判断できるだろう。
ただ、思うのは組織経営として、同一性を求めるのは仕事を円滑に進める上での強い関与があるということだ。そうはいっても、完全に同一集団となっていると成果のためにはどんな犯罪をもOKで、数字こそが正義だという極端な話になってくる。そうなると健全な組織運営ではない。そこで、必要になってくるのが多様性である。
多様性の好影響
つまり、異物(同一性質の人間、つまりは考え方が会社方針と真逆な方)を入社させることが会社を好転させることにつながる。会社の暴走をつなぎ止める鎖として機能するのだ。
その文脈から多様性が重要だと主張されているのである。


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