アートとわたし|人文学の魅力

日本美術を楽しむ
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人文学へのディスり

最近、インターネットで「人文学なんて意味がない」という趣旨の言葉を目にすることが増えた気がする。

仕事に役立たない。お金にならない。社会に出てから使い道がない。

そんな言葉が並んでいる。

もちろん、学問を学ぶうえで、実用性を重視する考え方があることは理解できる。生活していくためにはお金が必要だし、仕事に活かせる知識や技術を身につけたいと考えるのも自然なことだ。

けれど、わたしは少し疑問に思う。

人間について考えることは、そんなにも無意味なことなのだろうか。

人文学は、作者の気持ちを考える学問だと思ってない?

そもそも、人文学とは何だろうか。

文学、哲学、歴史学、美術史、宗教学など、人間の思想や文化、歴史、表現を研究する学問領域である。

人間は何を考え、何を信じ、何を美しいと感じ、どのように生きてきたのか。

そうした人間の営みを、さまざまな資料や作品を通して考えていく。

例えば、美術史で仏像を研究するとしよう。

仏像の形や材質、制作された時代を調べるだけではない。なぜそのような姿で表現されたのか。どのような信仰のもとで造られたのか。当時の人々は、その仏像に何を託したのか。

作品を手がかりに、過去の人々の思想や社会、信仰に思いを巡らせる。

そこには、単に物の名前や年代を覚えるだけでは得られない面白さがある。

人間が何を考え、どのような世界を生きていたのかを知ろうとすること。それもまた、人文学の魅力なのだと思う。

仕事に役立たないじゃん

人文学は仕事に役立たない。

本当にそうだろうか。

仕事は、作業をこなすことだけで成り立っているわけではない。

そこには、必ずといっていいほど人間がいる。

同僚がいて、上司がいて、取引先がいて、商品やサービスを受け取る人がいる。

人と人との関わりのなかで、仕事は成り立っている。

もちろん、仕事をするうえでは専門知識や技術、効率性も大切だ。それらを軽視するつもりはない。

しかし、人と関わる以上、相手の考え方や立場を理解しようとする姿勢も必要になるのではないだろうか。

自分とは違う価値観を持つ人がいる。

同じ出来事でも、人によって受け取り方が違う。

自分にとって当たり前のことが、ほかの誰かにとっては当たり前ではない。

こうした違いを考えることは、仕事でも日常生活でも無関係ではないはずだ。

人文学を学べば、必ず対人関係がうまくいくわけではない。人間について研究したからといって、他人の気持ちがすべてわかるようになるわけでもない。

それでも、人間の思想や歴史、文化に触れることは、自分とは異なるものの見方を知るきっかけになる。

その経験が、目の前の人間を理解しようとするとき、何かしらの助けになる可能性はあると思う。

人生は“役に立つ”だけで決まるの?

ここで、もう一つ考えてみたいことがある。

それは、学問の価値を「役に立つかどうか」だけで判断してよいのか、という問題だ。

もちろん、学問が社会に貢献することには大きな意味がある。研究によって新しい技術が生まれたり、病気の治療法が見つかったり、社会の問題を解決する手がかりが得られたりする。

そうした成果は、わたしたちの生活を支えている。

一方で、すぐに成果が見えないものや、金銭的な利益に直結しないものには、価値がないのだろうか。

美術館で絵画を眺める。

古い仏像を見て、どうしてこのような姿をしているのだろうと考える。

昔の人が残した文章を読み、何百年も前の人間の思想に触れる。

こうした経験は、必ずしも仕事の成果や収入に結びつくものではない。

けれど、そこから何かを感じたり、今まで知らなかった考え方に出会ったりすることはある。

それは、数字で測れる成果とは違う価値なのではないだろうか。

人間は、ただ効率よく働き、お金を稼ぐためだけに生きているわけではない。

何かを美しいと感じたり、過去の出来事に興味を持ったり、自分とは異なる考え方について思いを巡らせたりする。

そうした営みも、人間の生活を形づくっている。

そして、人文学は、その営みを考えるための学問でもある。

人間の営みを考えることに価値がある

経済学や経営学についても、少し触れておきたい。

これらは一般に社会科学に分類される学問であり、人文学とは区別されることが多い。

ただ、経済学は人間の意思決定や経済活動を、経営学は組織や人々の活動などを研究対象としている。

人文学と社会科学では、研究の方法や問いの立て方に違いがある。それでも、どちらも人間や社会について考えるという点で、わたしたちの営みと深く関係している。

人間が何を求め、どのように行動し、どのような社会をつくってきたのか。

こうした問いは、わたしたちが生きる世界を理解するうえで欠かせないものだと思う。

だからこそ、わたしは、人文学を含む人間についての学問が、単に「仕事に役立つかどうか」という基準だけで評価されてしまうことに、少し寂しさを感じる。

もちろん、人文学を無条件に称賛したいわけではない。研究の成果や社会との関わりについて、批判的に考えることも必要だろう。

それでも、すぐに役立つものだけを残していけばよい、という考え方には疑問が残る。

人間が何を考え、何を信じ、何をつくり、どのように生きてきたのか。

そのことを知ろうとする営みまで、無意味だと言い切れるのだろうか。

わたしは、そうは思わない。

人文学は、万能な学問ではない。学んだからといって、人生の問題がすべて解決するわけでもない。

それでも、人間について考えることには意味がある。

そして、その意味は、必ずしも仕事の成果や収入という形で現れる必要はないのではないだろうか。

わたしは、人文学の魅力を、そんなところにも感じている。

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