はじめに
私たちは日々、多くの美しいものに囲まれています。旅先で出会う静謐な仏像、美術館で対峙する一枚の絵画、あるいは、毎日自分を支えてくれる大切なお気に入りの道具たち。
私はこれまで、日本美術史の修士課程において、数々の文化財と向き合い、その姿を記録する「調査」の現場を経験してきました。そこで学んだのは、調査とは単なる作業ではなく、対象を深く知り、その存在を全身で肯定する「対話」の儀式であるということです。
今回、その専門的な視点を皆さんの日常や趣味に活かせるよう、独自の「鑑賞調査報告書テンプレート」を作成しました。この記事では、専門家の知見を少しだけお裾分けしながら、記録がもたらす心の静寂についてお話しします。
1. 「調査」は、対象への最高の敬意
「調査」と聞くと、どこか厳格で難しいものに感じるかもしれません。しかし、私が提案する「調査研究コトハジメ」は、対象を「ただ眺める」ことから一歩進んで、「丁寧に見つめ直す」ための招待状です。
美術史の調査では、作品名を確認し、材質を記録し、その存在の大きさを数値で知る(法量)。このプロセスを一つずつ丁寧に行うことは、対象が持つ「確かな存在」を尊重することに他なりません。それは、自分の外側にある美しいものと、自分自身の内面の静寂を繋ぎ合わせる、一種の癒やしのプロセスでもあるのです。
2. 鑑賞調査報告書の書き方:専門家の「眼」をなぞる
配布するテンプレートには、実際の調査現場で欠かせない基本項目を網羅しています。
① 存在の輪郭を形作る「作品名・材質・法量」
まずは「作品名」を記し、「材質」をじっくり見てください。例えば、掛け軸であれば、それが絹製であるか紙製であるか、彩色があるかを中心に見てください。
材質の記入例
まずは記録媒体の素材を見ましょう。
記録媒体が絹であれば絹本、そして顔料が墨一色であれば墨画です。
それを、合わせて、絹本墨画とよびます。
では、紙を媒体とし、墨を用い描いていた場合はどう呼称すると思われますか?
それは、紙本墨画です。
その次です。ここまででルールは分かりましたよね?媒体が絹で顔料に絵の具が使用され、彩色が施されていたとしたら?そうです。絹本著色です。
では、媒体が絹で墨を用いて描かれており、淡い彩色が施されていればどうなるでしょうか?それは絹本墨画淡彩です。
材質を記入する場合にはルールがあります。図録や展覧会の目録が手元にある方はチラっとでもいいので眺めてみてください。きっと、このような表記が見られると思います。現地でどうしても分からないという時には、分かる範囲で金箔とか絹とかを記入しておくだけでも問題なしです。帰宅してから調査してみましょう。
そして「法量(サイズ)」についてですが、実際の美術館や寺院では、展示品を自分で測ることはできません。また、対象に触れることは厳禁です。 ここでは、ぜひ「公式サイト」や「図録」を確認して、そこに記された正確な情報を記入してください。専門家が計測した数値を自分の手で記すことは、対象の歴史を正しく受け継ぐ誠実な一歩となります。
② 本質を捉える「スケッチと状態記録」
このテンプレートで最も広くスペースを取っているのが「メモ」の欄です。ここには、ぜひ「対象の簡略図(スケッチ)」を描き、そこに「今の状態」を書き込んでみてください。
上手な絵を描く必要はありません。例えば、仏像であれば輪郭を大まかになぞった簡略図を描き、そこに「ここにひび割れがある」「この部分の色彩が残っている」と、矢印を引いて直接書き込んでいくのです。文字だけで記すよりも、図の中に書き込むことで、あなたの「観察の解像度」は飛躍的に高まります。スケッチを通じて形をなぞり、状態を書き添える。この主体的な行為こそが、プロの調査における「対話」の本質です。
ここまで、当記事を読んで、さらに日本絵画について知りたい。勉強したいと思ったあなたにはこの本がおすすめです。分かりやすく日本絵画に用いられている素材や技法について図解しています。ただ、値が張るので図書館で探して、どうしても手元に残しておきたいと感じたら購入する方がよいでしょう。
3. 写真台帳:記録を支える「証」と「マナー」
文章とスケッチによる記録を補完するのが「写真台帳」です。ここには、ご自身で用意した写真を貼り付けて活用します。
ただし、ここで最も大切な「作法」があります。 美術館や博物館、寺院の多くは、作品の保護や著作権、信仰上の理由から「撮影禁止」となっている場所が少なくありません。
• 撮影が許可されている場合
自分でシャッターを切り、全体像や気になった細部を記録しましょう。自分の眼とレンズを通した記録は、かけがえのない証拠になります。
• 撮影が禁止されている場合
無理にカメラを向けるのではなく、その場の空気を五感で刻みましょう。台帳には、公式サイトの公開画像を参照したメモを記したり、購入したポストカードを貼ったりして補完してください。
ルールを守り、静寂の中で対象と向き合うこと。その配慮そのものが、文化財を慈しむ「鑑賞」の重要な一部なのです。
4. 調査研究コトハジメ、最初の一歩
難しく考える必要はありません。まずは、あなたの身の回りにある「なんとなく好きなもの」を一つ選んで、簡略図を描き、情報を書き込んでみてください。
「作品名」を調べ、「材質」を確かめ、「法量」を転記し、「スケッチ」で状態を追う。 専門家の眼を少しだけ借りて、日常を「調査」してみる。その先に、これまで気づかなかった「日々是好日」の輝きが隠されています。
このテンプレートが、皆さんの鑑賞の時間をより深く、穏やかなものにする一助となれば幸いです。
【配布資料ダウンロード】
日本美術史の知見をベースにした、オリジナルの調査・記録ツールです。
• [鑑賞調査報告書_テンプレート(Excel.xlsx)]
• [記録テンプレート(マクロ有効版 .xlsm)]
2つのテンプレートの使い分け
- 鑑賞調査報告書_テンプレート (.xlsx): 印刷して美術館や寺院へ。現地で五感を研ぎ澄ませながら、手書きでメモを取るのに最適です。
- 記録テンプレート (.xlsm): 帰宅後の整理に。画像挿入用のセルをダブルクリックするだけで、撮影した写真を簡単に選択・配置できる機能を搭載しています。
マクロの有効化設定
マクロの有効化設定が分からない場合は下記の方法を試してください。
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※本テンプレートは、個人の鑑賞・調査・研究の範囲でご自由にお使いください。二次配布や商用利用、自作発言はご遠慮ください。もし、テンプレートを使用中、不具合が発生した際はお手数ですが、下記のお問い合わせより連絡をお願いします。早急に対応いたします。

※アイキャッチ画像はGemini生成です。
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