適応障害で会社をクビになった私が実践!ハードルの低い「美術史」の楽しみ方!

美術史学
この記事は約4分で読めます。

はじめに

私たち人類は生きていくためには働かなくてはなりません。狩猟採集民族ではなくなった現代人にとって、社会との関わりは必要不可欠です。ですが、世の中にはその普通がなかなかできないという方が少なくありません。

社会が成熟すればするほど、どうしても求められる能力が高くなってしまいます。昔のようにただ、農作業だけをして生きていくことは難しくなってきました。そして、工場で決められた作業だけをしているとそれ以上のことを求められるようになります。それはコミュニケーションです。顧客の方々や社内の方々と円滑な折衝が必要になります。いわゆる“感情労働”です。社会が高度化するに従い、愛想がスキルになってきたのです。いついかなる時にも愛想を振りまく。それが今の社会に求められていることなのです。

なぜ、こんなことを言うのか。それは私自身がそのスキルがなかったのです。そして、適応障害になってしまいました。今の社会で普通に生きていくことは私には難しかったのです。

そんな時に思い出したのが、大学・大学院時代に研究していた日本美術史学でした。

この記事を書いたのはこんな人です。わたしに興味を持ちましたら、他の記事もチェックしてね!!

自己紹介
冬栞 HuyuShiori

日本美術史で修士号を取得。専門は江戸時代水墨画。学芸員資格と準デジタルアーキビストの資格を取得している。
適応障害を抱えるも現在は倉庫作業のパートとしてギリギリの生活をしている。趣味はWebサイト運営や記事の作成。日々、記事のネタになることはないかを考えている。

冬栞 HuyuShioriをフォローする

ビジュアルこそが美術史学

皆さんは美術史学と言われると、堅苦しい、古くさい、つまらないもの。小・中・高の歴史の授業でも文化史は片隅に追いやられていますよね。政治ばかりが特集されてもう記憶にもないよって方がほとんどだと思います。

虚構が私たちに与えたもの

美術史に全く触れていない人は存在しません。今、目に見えている全てが美術であり、文化です。人間が生きている以上、文化に触れているのです。文化から宗教が生まれ、宗教から文化が生まれます。人間を人間たらしめる要素として「虚構を信じるということ」があります。

人間が虚構を信じることで団結ができるようになったのです。身内を見極めるために信仰が必要だったのです。つまり、同じ信仰を信じる者同士を仲間とすることで団結ができるようになったのです。

お金というものもそれをお金だという共同幻想がなければ、ただの物体でしかありません。それがあったところでそれ自体には何の意味もありません。食べられるわけでもないのですから。

目に映るものが全て楽しみの宝庫

ビジュアルの意味を見抜く

日用品から建物まで目に映るものにはなぜそうなっているかという理由、意味があります。

意味がなく、適当に作られたなんてことはまずありません。

現代アートに対して意味なんてない。というがそんなことはありません。前時代へのカウンターとしてのアートなんです。真新しさ、斬新さが評価されているのです。

そこには意味なんてなさそうだが、じゃあ、何で作ったの?っていうことになりますよね?

作った本人にとっては意味があるから作ったのです。

だからこそ、全てのものには意味があり、存在しているのです。

自然においては分かりませんが、人工物については確実に意味があります。だって、意味がないなら作らないじゃない。ただ、自然を描こうという時には意味が生まれています。それは、そこに人間が意味を見出しているからに他ならないからです。

だからなんでもいいんです。

形や色に対して疑問を持ってみてください。そうすると、どんなものでも楽しめます。

私はこれを適応障害になってから思い出して、実践してみました。すると、以前より楽しみが増えてきました。生きることを楽しむことが出来るようになったのです。そうです。心の調子が良くなってきたのです。

  • 散歩
散歩 © 2011-2026 フリー素材サイト「ぱくたそ」https://www.pakutaso.com/20241154324post-52640.html から引用

紅葉の画像です。散歩しているとこういう風景に出会うことがありますよね?凄くきれいですよね!わたしも紅葉を見ると心が落ち着くのでスキです❤

あのオレンジがかった赤が印象的で素敵ですよね。

じゃあ、赤ってどういう意味があるのかな?調べてみようかな?

とりあえず、ここまでで。

まだ未完成です。続きを読みたいという方はスキをしてくださいね。コメントも待っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました