2.中国水墨画の特徴−文化の担い手に着目して−(緻密な中国画 vs 禅の余白:『現世利益』と『諸行無常』から読み解く日中思想 ー水墨画からたどる日中文化比較ー)


2. 中国水墨画の特徴−文化の担い手に着目して−

 水墨画とは、東アジアを代表する美術形式ですが、その定義よりも先に、「誰が、何のために描いたか」という背景を理解することが、中国思想の核心に迫る鍵となります。中国における水墨画の担い手は、思想の核である「現世利益」を体現する人々でした。彼らは、科挙を通過した文人(士大夫)や宮廷画家など、儒教社会の「秩序」と「功績」の追求に価値を置くエリート層です。彼らの描く山水画が、画面を埋め尽くすほどの緻密さと圧倒的なスケールを持つのは、まさしく現世での「完全なる達成」「完璧な秩序」を求める思想の投影に他なりません。画面に意図的に余白を残すことは、「未熟さ」「未完成」を意味し、功績の追求を旨とする儒教の価値観とは相容れないものだったのです。

緻密な筆致が示す「永遠の生命」への希求と理想の統治

 日本の思想の核が「諸行無常」(移り変わり)であるのに対し、中国の思想の核は「現世利益」、すなわち「永遠の生命」への強い希求にあります。前述したように中国思想の根底には「永遠の生命」への強い思いがあり、この世(現世)を最も価値ある場所と捉えます。この「現世」を限りなく延長し、完璧なものとして残したいという願望が、儒教という秩序と功績を重んじる思想を確立させたのです。

 そして、この思想の理想的な行動規範こそが、儒教の経典『礼記(らいき)』の「大学(だいがく)」篇に示された「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」です。文人にとって、自己修養から始まり、最終的に天下を平和に治める(平天下)という現世での完全なる統治こそが最高の目標でした。彼らは、知識と功績によって治められるこの現世を、絵画で理想化しようとしたのです。

「理想の統治」としての全景山水

 その達成への強い願いと、現世を永遠に完璧なものとして残したいという思想の投影が、水墨画の表現に表れています。

 その代表的な例が、北宋時代(10世紀〜12世紀)の画家、范寛(はんかん)の『谿山行旅図』(図版1)と同時期に活躍した宮廷画家、郭熙 (かくき)の『早春図』(図版2)です。前者は高さ2メートルを超える巨大な画面の中央に、威圧的なまでに巨大な主峰がそびえ立っています。岩肌には無数の皴法(しゅんぽう:筆の技法)が施され、一つとしておろそかにされた部分はありません。また、全景を詳細に描き込む「全景山水」という構図は、現実世界における最高の秩序、すなわち儒教の理想とする統治が完璧であることを象徴しています。

范寛『谿山行旅図』(図版1)

絹本墨画淡彩 一幅  
北宋(10世紀前半~11世紀前半)206.3×103.3㎝
国立故宮博物院

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※当画像はパブリックドメインの画像を使用しています。

 そして、後者の『早春図』も、立ち込める霞の中に、樹木や滝、そして山々が立体感をもって緻密に描きあげられています。 鑑賞者は、まるで画面の中を歩き、細部まで観察できるような感覚に陥りますが、これはまさに、現実世界を隅々まで理想的な秩序の下に治めようとする文人の思想が視覚化されたものです。

郭煕『早春図』(図版2)

絹本墨画淡彩 一幅    1072(北宋・熙寧5)年          158.3×108.1cm       国立故宮博物院

リンク先:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Guo_Xi_-_Early_Spring_(large).jpg

※当画像はパブリックドメインの画像を使用しています。

 これらのまるで神々しいまでの完璧な世界観は、現世の秩序や功績が完全無欠であるべきという儒教社会の理想を反映しています。文人(士大夫)にとって、現世とは知識と功績によって治められる最高の場所であり、その「完全なる統治(平天下)」への強い願いが、この徹底した具象性と緻密さに結実しているのです。

 当時の水墨画の主流は、現実世界における最高の功績と秩序を、画面上に理想郷として再現することであり、この徹底した具象性が、彼らの「現世利益」への強い願いを物語っているのです。

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