第1部:完璧な機械と、納期という名の不協和音
※予告での内容に変更を加えた部分があります。
1. 頁の中に閉じ込められた、職人の吐息
始まりは、大学の薄暗い講義室だった。 プロジェクターが放つ光が、スクリーンの白い闇を切り裂き、鮮やかな色彩を映し出す。美術史の講義で紹介された、江戸の浮世絵。誰に勧められたわけでも、流行りに乗ったわけでもない。ただ、その計算し尽くされた構図と、それでいてどこか奔放な線の重なりに、私は勝手にその世界を好きになった。
ゼミで資料集を貪るようにめくるたび、私は文字の中に閉じ込められた「摺師(すりし)」という存在に憧憬を抱いた。 江戸の摺師たちは、現代の工場のような完璧な空調設備など持たなかったはずだ。
彼らはその日の気温や湿度、紙のご機嫌を、己の掌の熱を通じて伺い、指先のわずかな「ゆらぎ」だけで色彩に命を吹き込んでいた。バレンを走らせる音、手漉き和紙の繊維が呼吸する質感、墨が紙の深淵へと染み込んでいく匂い。そこには、数値化できない、けれど確実に血の通った「正解」があった。
「この歴史の続きに、私も立ちたい。美しさが生まれる瞬間の、その端っこに触れたい」
そんな、今思えばあまりに無垢で、頁の中にしか存在しない黄金郷への憧れだけを握りしめて、私は印刷業界の門を叩いた。私は信じていたのだ。現代の印刷現場にも、かつての摺師たちが抱いたような、紙とインクへの誠実な「対話」が残っているはずだと。
2. 「それ」は、圧倒的な正解として君臨していた
しかし、入社した私を待っていたのは、職人の呼吸が入り込む余地など微塵もない、冷たく光るドイツ製の巨大な鉄の機械だった。 ハイデルベルク社製、8色刷オフセット印刷機「スピードマスター」。 輪転機付きのその巨大なシステムは、印刷室の主として鎮座し、私の甘い幻想をその重厚な駆動音で粉砕した。
鼻腔を刺すような有機溶剤と機械油の重苦しい匂い。そこに「情緒」など存在しない。スピードマスターは、1ミクロンの狂いも、1%の網点のズレも許さない、冷徹なまでの均質性を吐き出し続ける「機械」として私を威圧した。

「10,000枚刷って、10,000枚とも全く同じ色を出せ」
それは、上司からの、そして顧客からの絶対命令だった。 本で読んだ「湿度による微調整」は、ここでは「空調による徹底管理」に置き換えられ、職人の「勘」は「分光光度計の数値」へと取って代わられていた。
私が勝手に恋をした「印刷」という営みは、ここでは美を綴るものではなく、システムという巨大な歯車を回し続けるための、過酷な「製造業」だった。
ハイデルベルクは完璧だった。だからこそ、その横に立つ人間にも、完璧な「部品」であることが求められた。 給紙装置に紙を積み、インクの壺を覗き、ルーペを握りしめて刷り取りを検品する。
その繰り返しの中で、私は次第に、自分が表現の端っこに触れているのではなく、巨大なOSを維持するためだけの「使い捨てのセンサー」に成り下がっていく感覚に囚われていった。 「それ」が吐き出す10,000枚の「正解」。その1枚でも色の変動があれば、それは機械の責任ではなく、私の「怠慢」として処理される。責任の所在だけは決して自動化されない、この不条理。
3. 不協和音、そして「適当」という暴力
現場を支配していたのは、「納期」という名の絶対神だった。 精密な機械が刻むリズムとは対照的に、人間たちの心は荒れ、不協和音が鳴り止まない。秒単位で迫り来る締切。上司の苛立ち。背後から突き刺さる「もっと早く回せ」という怒声。 パワハラという名のシステムエラーが、私の精神を少しずつ蝕んでいった。
「仕事は芸術ではないからね」
「品質は大事だけど、美しいかどうかなんて関係ないんだよ。とにかく生産しろ」
私が大切に守ろうとしていた「細部へのこだわり」は、この現場ではただの「生産性を下げるノイズ」でしかなかった。 完璧である意味なんてない、許容範囲に収まればそれでいい。適当にやれ。 そう突き放されるたびに、私が勝手に好きになった美術の歴史そのものが、ゴミ箱へ捨てられているような気がしてならなかった。
「細かすぎる人はこの仕事に向いてないよ」
その言葉は、私の人格そのものへの不合格通知だった。
4. 聖域としての『仁王2』:難しいからこそ、生きていられた
印刷室の冷たい空気に磨り潰され、心身のバランスを崩しかけていた私。 帰宅してインクの匂いが染み付いた服を脱ぎ捨て、暗い部屋で一人テレビの前に座る。そこには、現実の理不尽なシステムが一切干渉できない、もう一つの「死地」があった。
『仁王2』。 戦国時代を舞台にしたダークファンタジー、いわゆる「死にゲー」の最高峰だ。 そこは、魑魅魍魎が跋扈し、コンマ一秒の判断ミスが即座に「落命」を招く過酷な世界。画面に踊る赤い文字を見るたび、私は現実の現場で味わう失敗とは全く異なる、不思議な高揚感を覚えていた。
『仁王2』は、難しいからこそ面白かった。 現実の現場では、ミスをすれば上司に詰められ、存在価値を否定される。けれど、このゲームの世界では、死ぬのも、刀を振るうのも、避けるのも、すべて私の意志だ。
システムの一部として死んだように働く現実とは違い、この戦場では、私の「細かすぎる」観察眼が、敵のわずかな隙を見切るための鋭利な武器に変わる。 難しい。けれど、挑めば必ず打開できる道がある。 一万回の落命を経て、ようやく強大な妖怪を討ち取った瞬間のあの震えるような達成感。それだけが、私が「自分」という人間を証明できる唯一の瞬間だった。
難しいからこそ、面白い。 自分の技量一つで、運命を切り拓けるからこそ、生きていられる。 『仁王2』という聖域があったからこそ、私はシステムに完全に打ち抜かれる前に、踏みとどまることができたのだ。
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5. アナログな怪物、トムソン加工機
ついに印刷の現場に立っていられなくなった私は、後工程である「トムソン加工機(打ち抜き機)」の担当へと移った。 驚いたことに、そこにもまた「ハイデルベルク」の銘板があった。 しかし、それは最新鋭のスピードマスターとは似ても似つかぬ、無骨なアナログの怪物だった。

コンピュータ制御によってブラックボックス化した最新機とは違い、トムソン機は剥き出しの歯車と油、そして物理的な圧力だけで動く「昔ながらの機械」だった。整備性は驚くほど高く、構造を理解すればどこが不調なのか、その音や振動で直感的に理解できる。
デジタルな「OS」に支配された印刷機は、ほんの少しのバグで機能を停止し、修理には高額な基盤交換を要する。対してこの古いトムソン機は、手入れさえ怠らなければ何十年でも動き続けるタフさを持っていた。
寿命が長く、壊れにくい。物理的な実在としての説得力が、そこにはあった。
型をセットし、重厚な圧力をかけて紙を叩く。 ガシャン。ガシャン。 そこでの私は、驚くほど「優秀」だった。ミスをせず、納期を守り、淡々と業務をこなす。上司からは「こっちの方が向いているね」と褒められた。
6. 打ち抜かれた後の、静かな絶望
けれど、その言葉は私の心に、かつてないほどの虚無を残した。
ミスがないのは、そこに私の「心」を介在させる必要がないからだ。 アナログで整備性が高い機械を扱うのは、確かに心地よさもあった。けれど、それは同時に、決められた「型」通りに紙を打ち抜き続けるだけの、終わりのない反復作業でもあった。
「仕事は芸術ではない」と割り切ることでしか得られない評価。システムの一部として綺麗に型通りに打ち抜かれ、不要な「こだわり」を抜きカスとして捨て去ることで得られる平穏。
それは、私が一番愛したはずの「表現」という世界からの、決定的な訣別だった。
浮世絵もよくよく考えれば、当時の摺師たちにとっては、今の私と同じような「過酷な労働」の産物だったのかもしれない。
後世の人が、勝手に、綺麗にパッケージされた「芸術」という価値を貼り付けているだけ。 そう気づいたとき、私の世界は完全に色を失った。
社会という厳しい「型」に、私という柔らかな紙はどうしても合わなかった。 精密な鉄の塊の横で、私は自分の輪郭を削り取られ、ついに立ち止まった。 立ち止まって初めて、私は自分の言葉で、このシステムの綻びを「検品」しなければならないと確信したのでした。

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