
1. 「Shoushou」という音の聖域
Shoushou-Ha-kkei(瀟湘八景)。 この記事を書くにあたって、私はあえて学術的な標準表記である Shosho ではなく、このように綴りたいと思います。
かつて、画家の藤田嗣治が、フランスにおいて自らを”Fujita”ではなく “Foujita” と名乗ったというエピソードがあります。なぜ、彼が“Foujita”としたかは私の調査した限り不明でしたが、これは自分の名の「ふ」という音が、現地の発音規則によってあいまいに損なわれることを嫌ったからともいえます。しかし、コトバンクでの解説によるとフランスでは“foufou”が「脳天気な」という意味合いを持つ形容詞なのだそうです。つまり、“Foujita”であれば他者から嘲笑される恐れがあるのです。それをあえて名乗るということは、これを逆手にとり、親しみやすさを演出することで自らのアイコン・ブランドイメージの確立を狙ったのではと考えられます。この「音」や「スペル」を意識することは一つの戦略だったのです。事実、彼は著名人とたたえられ、1925年にはフランスからレジオン・ドヌール勲章、ベルギーからレオポルド勲章を贈られるほどになっていたのです。(註1)
私もまた、この水墨画の至高のテーマを「しょう、しょう」という、深い溜息が重なり合うような日本語の響きとして、正確に、そして大切に呼びたい。そして「はっけい」の前に置かれたハイフン。この一拍のタメこそが、水墨画における「余白」そのもののように思えてなりません。
ふと、思い立ち、「しょう、しょう」と独りごちてみる。 「Sh」という摩擦音は、湿り気を帯びた風が葦の葉をさわさわと揺らす音になり、続く「ou」という母音は、低く垂れ込めた雲が湖面を覆い尽くす、あの深い霧の中に溶けていく。その音をなぞるだけで、私の肌をひんやりとした大気が撫で、視界の境界線が白く、曖昧に滲んでいく。それは、言葉になる前の感情が、そのまま風景として立ち上がる音なのです。
その音の連なりの中にこそ、かつての日本人が一度も訪れたことのない遠い国の風景に託した、震えるような「理想郷(ユートピア)への憧憬」が宿っている気がしてならないのです。つまり、これは私にとってのブランディングなのです。
2. 「筆は詩」の中国、「墨は絵」の日本
「瀟湘(しょうしょう)」とは、中国の湖南省に実在する景勝地です。しかし、中世から近世にかけてこの地を描き続けた日本の絵師たちの多くは、その土を踏むことも、その風を感じることもありませんでした。 彼らが手にしたのは、現地から届いたわずかな「情報の断片」に過ぎません。ここで、日中の美意識における決定的な乖離が生まれます。
中国の正統な画壇において、絵画は常に「詩」の延長線上にありました。「筆は詩」なのです。力強い筆線(線描)は画家の教養と人格を表す「文字」と同じであり、そこには明確な「正解」としてのロジックが求められました。士大夫(文人)たちは、自分たちの描く絵を正当化するために「技術よりも精神が大事だ」という論理を積み上げましたが、それはある種の後付けであり、自らの階級を誇示するためのブランディングでもあったでしょう。
一方で、日本人はその「筆(詩)」の厳格さを捨ててでも、牧谿(もっけい)らが放つ「墨は絵」という世界観を抱きしめました。 日本において、瀟湘八景は「説明されるべきもの」から「感じられるもの」へと変容しました。文字や詩という高解像度の知性で理解するよりも先に、彼らは墨のにじみが作り出す「不透明な豊かさ」の中に、自分たちの魂が帰りたがっている場所を見出したのです。

3. ハイソサエティの建前と、職業画人のリアリズム
もちろん、日本においてもこれは極めてハイレベルな精神の営みでした。 海を渡り、大陸の圧倒的な知を吸収した五山の禅僧(インテリ層)たちは、詩画軸という形で「瀟湘八景」を愛でました。それは五山文学という非常に限定的な界隈、すなわち当時の日本における最高峰のハイソサエティ文化でした。
しかし、その裏側にはもっと泥臭い「プロの仕事」が存在します。 狩野派に代表される職業画人たちは、武将たちの求めに応じて筆を執りました。戦に明け暮れる武勇の徒にとって、難しい漢詩の文脈は二次的なものだったはずです。彼らが求めたのは、殺伐とした現実から離れて一息つくための、直感的な癒やしの空間でした。
職業画人は、クライアントの注文(オーダー)に応じ、建築空間に合わせて「理想郷」をレイアウトしました。中国の文人たちが積み上げた小難しい理屈を削ぎ落とし、ただ眺めるだけで心が安らぐ「視覚的快楽」へとデザインし直したのです。 歴史の書物には高尚な精神論が並びますが、案外、私たちが今日目にする理想郷の形は、当時の現場の絵師たちが必死にクライアントのニーズに応えた、受託の果てに生まれた「現実的な解」だったのかもしれません。

4. 正解を持たずに「好日」を生きる
なぜ今、私はこれほどまでに「瀟湘八景」という古いテーマに惹かれるのでしょうか。 現代を生きる私たちは、常に「正解(詩)」を求められます。SNSを開けば他人の完璧な人生が溢れ、何事も言語化され、解像度の高い「正誤」が私たちを追い詰めます。適応障害という名の霧の中で、私は自分の居場所を見失いそうになります。
けれど、瀟湘八景を描いた先人たちが教えてくれるのは、「正解を知らなくても、理想郷は描ける」という事実です。 彼らは一度も本物を見ていません。それでも、自分なりの「憧憬」を頼りに、これほどまでに美しい世界を構築しました。 エリートたちが「詩」で正当化しようとしたことも、職業画人が「仕事」として描き抜いたことも、それら全ての建前を剥ぎ取った後に残るのは、「ここではないどこか」を求めた人間の共通した祈りです。
情報の欠落は、そのまま「自由な余白」になります。 「正解の自分」が分からないことは、恐怖ではありません。今この場所で、自分にとって心地よい構図を自由に描き直していいという、人生からの「免責」なのです。 私の心の中には、今も深い霧が立ち込めています。 けれど、その霧を「晴らさなければならない敵」と見なさず、牧谿が描いたような「美しい余白」として受け入れてみる。言葉にできない感情を、そのまま「にじみ」として置いておく。
理想郷は、届かないからこそ美しい。そして、その憧憬を持ち続けること自体が、今日という一日を「日々是好日」に変えていくのだと信じています。 「しょう、しょう」と呟くとき、私の心に、静かな風が吹きます。今日も一日楽しく過ごしましょうね。
