はじめに
朝、目が覚めると同時に、胸を締め付けるような重苦しさが襲ってくる。カーテンの隙間から差し込む光が、今日も「社会」が動き出したことを告げている。けれど、私の身体はベッドに縫い付けられたように動きません。
「行かなきゃ」と思う。でも、どうしても行けない。無理に起き上がろうとすると、喉の奥がヒュッと鳴り、呼吸が浅くなる。過呼吸になり、動かない身体を抱えてうずくまることしかできない。それが、私と適応障害との、静かで激しい闘いの始まりでした。
究極の処方箋。病院、薬、そして睡眠
適応障害の渦中にいるとき、一番の薬は専門家に頼ること。そして、医学の力を借りて「脳を休ませる」ことです。心療内科の門を叩き、自分の限界をさらすことは敗北ではありません。自分を守るための、最も勇敢な「降参」です。
処方されるお薬は、私にとっての「盾」です。荒れ狂う思考を静め、強制的に深い眠りへと誘ってくれる。睡眠は唯一の「手術時間」であり、寝ている間に脳は傷口を塞いでいく。私は今日も深い闇の中に身を沈めます。
記録することで、自分の調子を可視化する
回復の過程で大切にしているのは、自分の調子を「記録」することです。以前も当ブログで日記をおすすめする記事を書きました。
本来なら手帳にペンを走らせるのがいいのかもしれませんが、気力がない時、私はnoteを日記代わりにしています。
記録の最大のメリットは「可視化」です。「今日は少しだけ息がしやすかった」と一行記すだけで、後から振り返った時に「止まっていたわけじゃない」と気づけます。もちろん、毎日続けるのは至難の業。「やっぱり、続かないよね」と苦笑いする日もあります。でも、それでいい。書ける日があったことを喜ぶ緩さも、病との付き合い方なのです。
光の処方箋。朝、歩く。日光に当たる。
身体が動く日には、朝、歩くようにしています。難しい理屈はいりません。ただ右足と左足を交互に出し、地面を踏みしめる。朝日を肌に感じる。それだけで、世界のリズムと少しだけ共鳴する気がします。
「日々是好日」。嵐の日も、動けない日も、その一日をそのまま受け入れること。今の私にとって、週に4日働くだけで限界です。「正社員はムリ」だと痛感していますが、その限界を認めることが、私らしい社会復帰のスタートラインになりました。
ゆっくり、私らしく戻っていく
病院へ行き、薬を飲み、記録をつけ、歩いて、眠る。誰に褒められるわけでもないけれど、この最低限の営みを積み重ねることが、何よりも尊いのだと信じています。
無理に元の場所に戻る必要はありません。病院に行って、薬をもらって、ただ寝る。それだけで、あなたは十分に頑張っています。明日もまた、自分のペースで深い呼吸をすることから始めましょう。



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